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インスタだけじゃダメなわけ
本の余白の部分にこだわる小説家はいない。でも、写真の背景としての「余白」は、余計なものではなくそれ自体が作品を構成する要素だから、撮影者は被写体に対してと同様にこだわらなくてはならない。
なんて、偉そうに言ってみた。
なぜかといえば、当たり前のことなのにその意識が希薄なスタッフが多いと感じたから。
持論に過ぎないかもしれないけれど僕は「写真はその作品の持つパワーに応じてプリントのサイズが決まる」と思っている。これが世の中的に定説なのかは知らない。
その写真に作品としてのパワーがないなら、それは何が写っているかがわかるサムネイルで充分。雰囲気だけならスマホの画面程度。アートとして切れ味鋭く訴えるだけの存在感ある作品なら、そのパワー次第でA4なり、B全なり、駅前のビルの壁一面なり、適したサイズまたは耐えうるサイズがあると思う。
それで気付いたのだけれど、インスタがヤバい。うちの高校生の娘が嬉々としながら口にするヤバいとは逆の意味でヤバい。
今どきフォトグラファーを目指すにあたり、インスタを営業ツールに使わない手がないことは周知のとおり。実際にこのスタジオからも、スタジオアシスタントでありながらインスタ経由で撮影依頼がくるようになり、そのままフォトグラファーデビューした元スタッフがいるわけだし。
ただ、まだ写真が発展途上にある人が何もわからぬままインスタを足掛かりにフォトグラファーデビューをはかろうとするなら注意しなければならないことがある。
このスタジオのスタッフは日ごろのスタジオ業務とは別に自分の作品を作り提出する義務がある。それをインスタ等で公開し、一番「いいね」を取った作品をA2サイズにプリントしてスタジオの一角に掲示している。
今、壁には最近の5回分の一番多く「いいね」を取った5作品が並んでいる。インスタをスマホの小さな画面で見ていたときは僕もそれほど気にならなかった。A2サイズに大きくプリントして気付いた。
どの作品も構図が甘く、ムダで意味のない余白が多くて作品にしまりがないのだ。
絵画やイラストと同じように写真も平面のアート作品として見れば、構図という要素は多くのカメラマンがこだわるレンズの描写の違いよりも強大だと思う。背景は単なる余白ではなく、被写体のフォルムと対をなす構成要素だという意識が必要だ。言い方を変えると、余白とは余った余計な部分などではなく、余白それ自体を意味のあるものとして意識するべきものなのだ。
スマホサイズでしか見られないインスタだけでは、そこに気付くことが厳しい。
と、いうことを昨日一緒に飲んだ作家に言ってみた。彼はその一連のインスタを見ながら言った。
「いや~、オレはあえて構図をハズしてるからね。オレの場合、1枚ものじゃなく組だからってこともあるけど。だから、これはこれでいいんじゃない?って思うけどね」
確かにそうだ。でも、彼のように意図的にやっているのと、わからず気付かないのは違う。
僕は英語を話さないのではなく話せない。でも、英語なら近くにいる人に助けを求めたり、スマホのアプリで何とかなる。作品の構図は自分が感じられなければどうしようもない。
やっぱりスタッフは大きな画像にしてもスキがない作品と見られるよう構図への意識を忘れずに。あえて外すなら、そこに明確な感覚的意図を持つように。
スタッフが僕のような素人なオッサンに文句言われているうちはまだまだ。早く文句言われなくなるように頑張れ!
もしくは、こんなオッサンの言うことなんか端から相手にするつもりはないぜ!ってツッパリ通していけ!
昨日一緒に飲んだ作家みたいに。