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写真の本質

「もう、iPhoneで良くね?カメラいらなくない?」

 

いつの頃からか、こういった言葉を耳にするようになりました。

 

スマホの性能が上がるほど、スマホのカメラで事足りる場面が増えています。プロの仕事にもいろいろあるので、求められているクオリティーや画面サイズによっては、スマホで充分とか、スマホの方が便利って場面は普通にあります。

 

同じ意味合いに聞こえる言葉に、

 

「近ごろのカメラは性能がいいから、誰が撮ってもプロ並みの写真が撮れるよね」

 

そんな言葉も耳にするようになって久しい気がします。

 

ただし、こちらの言葉については、僕はまったく賛同しません。

 

もちろん、プロフェッショナルが、高画質で、適正露出で、手ブレなくピントもしっかり合った写真を撮る人という定義なら、今の高級カメラは確かにプロ並みの写真が撮れます。iPhoneだってプロ顔負けの写真が撮ると言えなくもありません。

 

素人の方が言っているならそれで構いません。でも、カメラマンと称する方が自分に仕事がこない理由をここに結び付けているのなら残念です。それって、その方自身の問題であってカメラの問題ではありませんから。

 

だって、これって「太っている人なら、誰でもお相撲さんになれるよね」と言っているのと変わりません。

 

 

想えば、僕がアシスタントだった昔、まだオートフォーカスはプロのカメラマンのスピードや操作性に応えられるほど優秀とはいえませんでした。だから、動きのある撮影ではピント合わせの上手さもその分野のカメラマンには求められるスキルでした。実際、当時の僕の知り合いにはライブ撮影でピントの正確さが評価されているカメラマンがいました。

 

でも、オートフォーカス技術が人の目よりも優秀になってしまった今、ピント合わせの上手さにカメラマンとしてのアドバンテージは皆無です。年長者が若い人に語る「昔はこうだった」博物館に所蔵されるエピソードの一つでしかありません。

 

 

ドローンが世の中に広まり始めたとき、ドローン空撮カメラマン養成スクールがあちらこちらにできて、ドローンカメラマンという肩書を持つ方が巷に溢れ出しました。その後、制作に携わる方々から聞こえてきたのは、ドローンの操縦が得意でドローンカメラマンになった人より、元々カメラマンでドローンの操縦を覚えた人の方が、断然いい写真を撮ってくれるという話。溢れるほどいる人の中から誰が生き残るのかは、言わずとも・・・です。

 

 

すでに来ている動画の波。フォトグラファーにその依頼がくる形は、依頼者側の予算的理由かフォトグラファーだからこその部分が欲しいからか、その二つの要因からなるようです。前者が多めのフォトグラファーは「大変だ」とか、「割に合わない」とこぼしています。後者が多めの方は、カメラマンを目指している人たちに「動画やった方がいいよ!」と勧めています。

 

 

このスタジオのスタッフは、買いそろえた最新機材の上であぐらをかくことなく、だからといってクラッシックなカメラでお茶を濁していないで、この本質を知り本質の土俵の上で勝負すること。

 

振り返れば、カメラが発明されフォトグラファーという職業ができて以来、機材の進化・発展の歴史の中で忘れ去られていったものは、いつの時代も写真の本質ではなかったものばかりです。逆に言えば、本質をわかっていれば、機材の進化も時代の移ろいも乗り越え生き延びていけるということなのです。

 

 

 

 

で、本質とは何か?

 

 

 

 

それは自分で考えよう。

 

 

 

 

それがスタジオマンの本質。

 

 

 

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