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上が変わらず下を変えるな

新人のKさんは明るく前向き。まわりの日本人スタッフが愚痴こぼす作業でも「楽しい~」と言いながらニコニコやっています。

 

そういえば昨年までいた外国籍スタッフも根っから明るい人でした。彼女の場合、嫌なものはイヤと忖度も遠慮もなく言っていましたが、日本人の僕らが驚くほどあっけらかんと言い放つので誰も嫌な気はしませんでした。

 

この日本人スタッフとは一線を画す明るさとか前向きな姿勢がどこから来たものなのか。個性とか国民性という言葉で片付けてしまうのは簡単です。

 

今どき、この国の上司は部下に忖度するのが普通ですから、余計な波風立てるくらいならそう言ってしまった方が後腐れないでしょうし。

 

ただ、おっさんの僕には感慨深いものがあります。

 

それは40年ほど昔、1980年代の中ごろのこと。

 

当時10代だった僕のバイト先にシユウさんという方がいました。そのシユウさん、とにかく働かない人でした。

 

一見マジメそうだし、悪気があるわけでもなさそう。話してみればとても面白い方でしたが、仕事はスロースターターの上にすぐ疲れちゃう。

 

まわりの日本人の社員さんからはよく怒られていました。でも、本人は気にする風でもなく、おっとりノンビリしていました。

 

ある時、シユウさん本人のいないところでシユウさんの話になったことがありました。その時社員の誰かが言い、その場にいたみんなが「そーだよねー仕方ないよねー」と諦めうなずいていた言葉を今も覚えています。

 

「彼の国は共産主義だからね、働いても働かなくても給与が変わるわけではないから、みんな働かないんだ」

 

当時、日本はバブル前夜。栄養ドリンクのCMキャッチコピー「24時間働けますか?」が話題になっていました。今だったらSNSで叩かれて、たちまち放送中止に追い込まれてしまうであろうキャッチコピーですが、その当時は働く消費者、いわゆる「企業戦士」の心に響くことを狙ったものとして受け入れられていたのです。

 

ご存知の通り、それから日本はバブル崩壊、長期低迷の中で働きすぎへの反省というムードが高まり誰にも優しい気遣いの国へと向かい今に至ります。

 

今思えば、そのころすでに始まっていたシユウさんの国の歴史的な政策変更は、その後かの国の人々を大きく変えていきました。

 

気付けば今、あくまで僕の主観ですがシユウさんの国の人だけでなく、日本在住外国人の多くはみなさん明るくタフで働き者。気持ちも生きる力も強い人ばかり。もちろん、縁もゆかりもない国(日本)で生きていこうとしているわけですから、明るくタフにならざるを得ないって事情はありますが。

 

日本人は今も昔もマジメで几帳面で親切です。一部の外国の方と比べれば自己主張こそ控えめですが、話せば個性豊かな優しい人ばかり。

 

ただ、日本在住の外国人が明るくタフで働き者、気持ちも生きる力も強い人ばかりと感じるのは、日本人と比較するからです。

 

日本人だって明るくタフで前向きに生きてもいいはずなのに。

 

だから思います。

 

かの国が変わったことでその国の人々がこれだけ変われるのなら、この国の組織やチームやグループも変わりさえすれば人も変わるだろうと。

 

と、いうことは人の上に立つ人は、そのグループの大きさに関わらず人を明るくタフで前向きな気持ちを持てるようにするべきだと。

 

そのためには、強いる努力の先に一人ひとりの夢があることを語り、その夢の実現のためにはどう頑張れば良いかを指し示す。

 

その上で、それがウソではないことを言葉ではなく事実や結果で証明する。

 

信じてもらえれば人は変わるし、人が変わればチームが変わり、チームが変われば組織が変わる。

 

一人ひとりが変わるためには、まずは上が変わらなければならないのではないかと思うのです。

 

 

 

よく言われる話に、タマゴが先かニワトリが先かという問題があります。

 

それに例えれば、タマゴに変わることは出来ないのだからニワトリから先に変わらないと。

 

ちょっと、そこの自分。3歩歩くと忘れちゃうからムリ~とは言わないように!

 

 

文:田辺 政一  え:きよた ちひろ

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