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おじさんのウソ
「え? まだ○○歳? いいねー、これから何でもできるねー」
おじさんが若い人にこう言っている場面に居合わせることがあります。
おじさんたちの気持ち、僕もとってもわかります。
でも、何か違和感あってムズかゆいので、考えてみました。若い人視点で。
① なぜおじさんは若い人に「若いから何でもできる」と言ってしまうのか
これは、おじさん自身の問題です。おじさんは、おじさん度が上がるにつれ捨てるわけにはいかないものを抱えるようになっていきます。それは子供とか、家庭とか。これまでの実績や経験。家のローンや老後のためのたくわえ。自分より老いている両親のこととか。
そういった捨てられないものに周りを囲まれ、そのすき間でしか生きていけないその不自由さが、若い方に「何でもできる」と言ってしまうのです。
僕も若かったころ、目上のおじさん連中からこの言葉をよくもらった気がします。ただ、何のことだかわからなかったし、おじさん自身のなげきにしか聞こえなかったので、聞き流していました。
そもそも、人には向き不向き、得手不得手、好き嫌い、その他もろもろの事情があります。
だから、「若いから何でもできる」と言われたって、どうしようもないってゆうのが率直な感想だと思うのです。
② しかしhowever
ただ、もしもです。
若い人が自分には何が向いているのかまだわかっていなかったら。ネットの適性診断の結果も自分にはイマイチしっくりこなかったら。
だからといって、自分にはこれで生きていこうと思えるほどの人より秀でた何かがあるわけでもなかったら。
しかも、寝る間を惜しんで熱中するほど好きっといえるものもなかったら。
唯一確かなことは、学校の勉強は特段好きでも得意でもないということだったら。
向き不向きも、得手不得手も、やってみなければわかりませんから。
好き嫌いですら、実はやってみなければわからないものですし。
とにかく何であろうとリアルにチャレンジしていくことからすべては始まります。
命の危険にさらされない範囲のあらゆることを。
でもbut、人は誰もが臆病です。気乗りのしないことには何かしら理由を付けて、やらなくて済む自分を肯定することに精を出してしまいます。
そうやって、未知の何かにチャレンジすることによるヒリヒリするような感覚を避け続け、妥協と惰性の中で生きていく。
今の生活が気に入っているから。友達と離れたくないから。親に心配かけたくないから。生活していけるのか不安だから。何となく気乗りしないから・・・
そう言っているうちに、月日は流れ、年月も流れ、気付けば自分もおじさんになっている。
そして、若い人に言うんです。
「え? まだ○○歳? いいねー、これから何でもできるねー」って。
それでは、何もやらなかったお前が言うなって話になってしまいます。
③ おじさんが若い人に言うべきこと
だからおじさんは、こう言うべきではないかと思うのです。
「え? まだ○○歳? 小さな枠に収まってない? 大丈夫? 世界は広いし深いし多面的だからね。頭が柔軟な若いうちにできる限りいろいろな経験や体験をして視野を広く持つ人になったほうがいいよ。経験ってあった方が良いと思われているけど、人はその経験が増えれば増えるほど新しいことを経験に裏打ちされた価値観で見ようとするものだからね。その経験が狭くて浅かったら目も当てられない。だから、がんばってね!」
若い方も、こういうおじさんの言うことだったら耳を傾ける価値があると思います。
そもそもね、若いうちだけですから、こう言ってもらえるの。
僕くらいのおっさんになると、
「え? ○○歳? ・・・・・・私も最近、老眼が・・・・・・この間、健診に引っかかっちゃいまして・・・・・・いや、もう、忘れっぽくてね・・・・・・で、何でしたっけ?」
こんな会話をしているだけで一日が終わります。一週間も、一カ月も、一年だって、あっという間に過ぎ去っていきます。
おじさんになると体感時間は爆速で早くなるものなのです。
だから若いうちに、ね。