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謙虚で逃げるな
巷には「日本人の素晴らしさ」を称賛する番組やネット記事、書籍があふれています。なぜここまで日本人を称賛しなければならないのか? 考えれば、多くの日本人が日本人であることに誇りや自信を持てていない姿が目に浮かんできます。
その原因は何なのか?
僕はその一つに、日本人の美徳として挙げられがちな「謙虚」があると考えます。
『広辞苑』によると、「謙虚」とは「自分の存在を低いものと客観的に見、相手の考えなどの中に取るべきものが有ればすなおに受け入れる態度を失わない様子。」とあります。この姿勢、自分がどんな地位になっても失いたくはない大切なものだと思います。
でも、マネージャーの立場から言わせて頂けるなら、現実問題として「謙虚なだけの人」は使えません。
落とし穴はここにあると思うのです。
「常に自分を低い存在とし、考えることは相手にゆだねっきりの姿勢」も、はた目からは謙虚と映ります。でも、広辞苑の謙虚は「常に学び受け入れる姿勢」のための謙虚です。「へりくだることで自分の考えを通すことを拒み、責任から逃れる」ことを目的とする謙虚ではありません。
これって、日本の高度成長期の大量生産時代に国や企業が奨励した人間性です。当時の終身雇用や年功型の賃金制度など、リターンが制度として約束されていた時代だったから通用したスタイルです。
でも、ご存知の通り、今ではほとんど意味のない人間性に他なりません。にもかかわらず、未だに履き違えた謙虚を受け入れてしまっている人は大勢います。
多くの人にとって偽りの「謙虚」は楽なのかもしれません。自分で考えることを放棄し他人の手足に徹していれば、責任を問われることもないわけですから。
ただし、それでは自分を生きていることにはなりません。そんな他人の人生を生きていて何が面白いのか?という問いに一生「妥協」という答えを出し続け、自分に言い聞かせていかなければならないのです。
結局のところ、多くの日本人が生きていくために仕方なく、本来の自分から逃げている。だから、謙虚にならざるを得ず、自分自身に自信を持つことが出来ないのだと思います。
将来フリーでやっていくつもりなら、従順なだけの謙虚ではなく、謙虚を数ある武器の一つとして使いこなせるようにならなくてはなりません。うちのスタッフは謙虚なポジションにたやすく逃げず、自分の人生をつかみ取れ!
文:田辺 政一 え:きよた ちひろ