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自己責任の反対はおせっかいである
「親ガチャ」という言葉があります。
ネット上で自分の境遇へのぼやきに共感を得るために広がった言葉のようですが、リアルな世界にはホントにシャレにならないほど厳しく理不尽な環境の中におかれた人もいます。でも、結局のところ、誰しもその環境を受け入れるしかありません。自暴自棄になるほど過酷な状況におかれた人ですら、それを含めた自分を受け入れないことには何も始まらないのですから仕方のないことです。
と、身も蓋もないこと言って気付いたのです。「自己責任」の対義語は「親切」や「おせっかい」だと。
僕がいるような撮影スタジオは、将来フォトグラファーになりたい人やそういったことに興味のある人に働いて頂くことで経営を成り立たせています。でも、スタッフ当人たちが本当にそれを実現できるかどうかは自己責任というのが一般的なスタジオ経営企業のスタンスです。
そりゃそうです。学べる環境はスタッフの目の前にあるわけですし、やるかやらないかは本人の問題ですから。普通の仕事ではなくフォトグラファーというちょっと特殊な仕事にこだわっているのは本人ですから、当然そのリスクは織り込んでおいてもらわなければなりません。
でも、たまたまですが、テイクの南さんに変人呼ばわりされている僕にはそれが出来ませんでした。営利を追求すべき立場のマネージャーでありながら、スタッフにおせっかいを焼かずにいられなかったのです。
僕がスタッフに作撮りを強制しているのも、各自にホームページ(HP)を作らせてスタジオのHPとリンクさせているのも、スタッフの日頃の態度や姿勢や考え方にガミガミブツブツ言うのも、僕の余計な親切心からです。
スタッフから進路の相談を受ければ、いつも僕は「マネージャーの立場としての意見」と「業界を知る者としての知恵」を分けて話します。「マネージャーとしては、正直今○○にスタジオを辞められるのは辛いけれど、○○のその選択は良いと思うし、タイミング的に今を逃すことは賢明じゃないよね」と言っては、仕事ができて経験値も高いスタッフがスタジオを辞めることをあっさり承諾します。
(もちろん、そのアイデアが当人の将来にとって良くないと思えるときは全力で反対します)
僕のいるこのスタジオからは、多くの人がフォトグラファーになっています。僕が何かを教えたわけではありません。そもそも教えられる極意なんて僕にはありませんし。皆さんが自分自身で切り開き、賢く選択されていかれた結果です。
でも、この外苑スタジオからは今も昔もとても多くの元スタッフがフォトグラファーになっているのです。
その理由を問われれば、僕が言えることは一つ。「自己責任」を理由に干渉しないより、「おせっかい」を焼いたほうがスタッフは断然自分の理想を実現するということ。その時はウザがられようが、その結果気まずい関係になろうが、それが会社の経営上の都合ではなく、心から当人のために良かれと思えることであるなら僕は遠慮なく言いたいことを言わせてもらってきました。それしか他に思い当たるものがないのです。だから、きっとこれは真実なのです。
それで思いました。
ホントに親ガチャ大ハズレだった人に必要なことは周りからの手厚い親切だろうと。この世の中に生まれてきて良かったと思えるほどのしつこいお節介だろうと。
見返りを求めないその親切が、いつかはそんな境遇の自分ですら受け入れて生きていこうと思えるインセンティブになると思うのです。
自己責任の反対はおせっかい。きっと間違いありません。
文:田辺 政一 え:きよた ちひろ