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自己肯定感

ここ何年か、ふとした拍子で気になってきたナゾがあります。奥歯に挟まった食べカスのように気になって仕方がなかったのですが、なかなかうまく取れないので放置してきました。

 

それが、先日ポロっとスッキリ取れたのです。

 

そのナゾとは、自己肯定感。こんな自分を自分自身は愛おしく思っているって感覚について。それが、他の国の人たちに比べ日本人は低い人が多いのはなぜかということ。(参考サイト:内閣府「今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~」)https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26gaiyou/tokushu.html

 

ポロっと取れたきっかけは、僕があるイベントに参加したときのことでした。マイクを持った某大学の教授に僕が「田辺さんは若いころから大変苦労されてきまして・・・」と紹介されたのです。

 

その教授とはそれまでお会いしたことがなく、当日はじめて軽く挨拶を交わした程度の間柄でした。僕にはその方が何を根拠に何を指して「苦労」と言ったのかがわかりませんでした。

 

それで、思い当たるフシを探していて気付いたのです。彼の知りうる僕の事前情報は僕の経歴くらい。その中の僕の最終学歴「高卒」をみて「苦労した」と考えたのだと。

 

どうやら世の中の常識は、中卒や高卒の人はよほどの才能やタレント性があるか、並外れた努力を積み重ねない限り、社会的・経済的ヒエラルキーの下層に位置づけられるみたいです。教授にしてみればまったく悪気なく自分と同じ場に高卒が居合わすということは、当然この男は余程の苦労を乗り越えてきたに違いないと考えたのでしょう。

 

でも、僕自身は子供のころからず~っとやりたいことしかやってこなかった人間です。自分がやりたくないことは体が動かないのでやりようもありませんでした。

 

僕にしてみればその結果が高卒であり、その延長線上に今があるだけのことです。もちろん、特別な才能なんて何一つ持ち合わせていませんが、苦労も努力もした憶えはありません。そもそも苦労や努力なんて大嫌いなのでするつもりもありませんし。

 

スタジオのOBOGをはじめ僕の周りの人だってみんなそうです。学生時代に試行錯誤したり、ムダに過ごした時間こそ何ものにも代えがたい思い出ですが、「学歴」自体は何の足しにもなりません。

 

それでも普通の世界と同じように一般サラリーマンの何倍もの年収を稼ぐ方もいれば、虎視眈々上を目指している方もいます。ただし、あくまでも自分流のやり方で。しかも、普通の会社勤めの方よりも圧倒的に自由な中でです。

 

それで頭の中に挟まった食べかすがポロっと抜け落ちました。

 

 

この世界には僕の知る限り2通りの生き方があります。一つは、世の中にある既存の仕組み(システム)に自分の人生をゆだねた生き方。もう一つは、自分の中にある何かに自分の人生をゆだねる生き方。

 

意識的か無意識かは別にして、人は誰もが一人ひとり自分に合った形でこの両者のバランスを取るようになります。それがうまくいかないと病んだり曲がったりしがちですから。

 

ただ、この国では「自分の中にある何かに自分の人生をゆだねる生き方」は特別な才能や並外れた努力をした人のみに許されることで、それ以外の人はシステムの中で生きていかなければならないと信じられています。本来ならば、人それぞれが自分に見合ったバランスを取るべきものなのに、特別に秀でた才能がない限り既存の仕組み(システム)の中に自分を見い出さなければならないとされている。

 

受験や就活、出世や転職などはすべてシステムの中のローカルルールに過ぎません。本来ならば、そのシステム内で生きるかどうかは自分の意志で決めるべきことなのです。

 

子供のころからシステム内で生きていかなければならないと信じ込まされている以上、そのヒエラルキーの上層部に登れない限り、自分に自信を持てる存在にはなれない。そりゃ自分を肯定できない人が多いワケです。

 

勉強して良い成績をとらない限り、自分はダメな人間。そんなバカげた考えを子供のころから植え付けられるのですから、将来に明るい希望を持ちにくいのは当然です。

 

本来勉強それ自体は楽しいものです。でも、そんな悠長なことを言っていたら競争に勝てないからやらなければならないものとなってしまっている。そのための方法論は年々進化しており、お金さえ積めばそれを手に入れることができる。そういったことが間違っていることだと気付いていても誰もそれを止めることができない。

 

不登校の問題だって、根っこは一緒です。子供たちは敏感に感じ取っています。システムの中に自分の居場所がないということを。ただ、それを的確な言葉で説明できないから不登校という手段で表現するのです。

 

企業都合の新卒一括採用なんて習わしがあるから、学生は否が応でもシステムに巻き込まれていかざるを得ません。人が人らしく生きるためには、本来ならば就活は学生個人個人のタイミングで始めるべきものなのにです。

 

自分の中に何か得体のしれないものがあると感じるなら、それを探すこと。そのために試行錯誤できる時間。失敗を何度でもやり直せる土壌。そういった中で自分の中にある何かと向き合うことこそ、そんな自分でも愛おしいと思えるようになるために必要不可欠なものだと思うのです。

 

この国の自己肯定感を上げるためには、エスタブリッシュメントな方々にこそ、こういったことの重要性を理解して頂きたいと切に願う次第です。ある意味エスタブリッシュメントの自己否定でもあるので、難しいことだとは思いますが。

 

 

 

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