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絶対美感
音に関わる能力に絶対音感という言葉があります。それに対してビジュアルには、色感を除けばこれといった正解があるわけではないので、「絶対」という定義を持ち込むことには無理があります。それでも僕はビジュアルに関して「絶対美感」という言葉を定義し広めるべきだと思うのです。なぜなら、一人ひとりがそれぞれの「絶対美感」を持とうとすることそれ自体には、大きなメリットがあるからです。
(と、思って念のためググってみたら華道家の假屋崎省吾さんがすでに自著の中でこの言葉を取り上げていました。読んでいないので、假屋崎さんの定義はわかりませんが。)
知り合いに絶対音感を持った人がいます。LINE電話の着信音を聞けば頭の中に音階(♪ファソドファソシソラレ…)が出てくるそうです。電車に乗れば発車のときのメロディー(♪ソソラソドソミソ…)はもちろん、電車のドアが閉まるときの空気の音プシュー(♪シー)とか、走り出してから徐々に加速していく走行音(♪ファーソーラーシー)までもが音階に。知らない曲でも1度聞けば、ピアノで伴奏を付けて流ちょうに弾いてくれます。
羨ましいようなこの能力ですが、それ故に困ることもあるそうです。それは、普通の人は気付かない程度の音のズレが必要以上に気になってしまい、それがストレスとなり疲れてしまうこと。
ところで、僕の大好きな作家の村上春樹さんが、以前インタビューに答えてこんなことを言っていました。
― SNSはいっさい見ないそうですが、その理由は?
「大体において文章があまり上等じゃないですよね。いい文章を読んでいい音楽を聴くってことは、人生にとってものすごく大事なことなんです。だから、逆の言い方をすれば、まずい音楽、まずい文章っていうのは聴かない、読まないに越したことはない。」
(ユニクロ LifeWear magazine『村上春樹に26の質問』より)
また、以前スタジオのOBフォトグラファーにスタジオスタッフの作品を見て講評してもらおうとしたら、こう言って断られました。
「嫌です。目が腐るので。」
ズレた音程を不快に思うとか。まずい文章は読みたくないとか。下手な写真は見たくない、とか。自分の中に確固とした感覚があるからこそ言えることです。ビジュアルに関するそれを「絶対美感」と呼ぶことで、フォトグラファーを目指す多くの人の意識の片隅に置くべきではないかと思うのです。
なんかいい感じに写るフィルムカメラで撮ったからそれで満足とか、これだけきれいで鮮やかに写るならiPhoneで充分じゃんとか、最新のミラーレスカメラだったら間違いないとか。
そうじゃなくて、自分なりの感覚的な根拠の定規を持つ。
フレーミングはホントにそれでいいですか?いい構図は1㎜の無駄もなく、触れれば手が切れるほどスキのないものですけど。
カメラ位置はそこでいいですか?正解は、それ以上寄りでも引きでもなく、上からでもなく下からでもないポジションただ1点です。
レンズ選択はその焦点距離で間違っていませんか?パースや画角だけでなく、被写体に対する圧縮率やゆがみを含めた最適な焦点距離があるはずです。
光(ライト)はそれでいいですか? 一線で活躍されているフォトグラファーのライティングを学ぶのは、そのマネをするためではなく自分自身がライト感を身につけるためです。
レタッチのクオリティーはそれで完璧ですか? 何より大切なことは、フォトショのテクニックではなく絵心です。
わかっているなら問題ありません。まだ心もとないとか、何のことやらわからないなら、そこに意識を向けて精進してみる。その時間や情熱は決して無駄にならずに帰ってきますから。
それはそうと。先ほどの絶対音感を持つ僕の知り合いですが、音のズレがよほどストレスらしく強情すぎてシャレになりません。僕とだけは絶対にカラオケに行きたくないと言って聞きませんから。
僕は絶対、鈍感だそうです。