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家族

遡ること十数時間前。僕は一歩踏み外せば生きては帰れない断崖絶壁を歩いていた。諦めてしまえば楽になれる誘惑の中で、家族のために生きて帰りたいと心から望む自分を知った。

 

頭ではわかっていた。心からそう思える自分に気付いたのだ。無謀と言われればその通り、ただの身の程知らずなオッサンの山行の中で。

 

 

僕は先日、遅い夏休みを利用して一人南アルプスの甲斐駒ヶ岳に行った。日本三大急登の一つといわれる黒戸尾根のルートだったが、若いころに行った時の記憶では、ただただ長いだけのたわいもない山だった。

 

十代の頃は、登山家になろうと真剣に考えるほど、山に入れ込んでいた。ただ、あの頃から40年、最近はコロナにかまけて運動らしい運動もしていない。だから、今回の行程は日帰りではなく12日の山小屋泊りと余裕を持たせて計画した。

 

タイミング悪く台風14号が日本列島に近づいてきていた。しかし、偏西風と高気圧の影響で、九州の西の海上で停滞する。予報によれば下山日まではそのままらしい。山行きは予定通りに決行した。

 

自分の考えの甘さに気付いたのは1日目の午後、登山口スタートから数時間後の今さら戻れない甲斐駒ヶ岳頂上。オーバーワークで体が重く、標高3000m満たない山なのに空気の薄さで10歩も歩くと息切れしてしまう始末。通常のコースタイムの倍近い時間をかけて何とかその日泊まる山小屋にたどり着く。

 

若いころなら一晩寝ればこの程度の状態は回復し、体が順応した。だから、その晩は少しでもそうなることを祈りつつシュラフにもぐり込んだ。翌朝、日の出とともに小屋を発ったが、やはりすぐに息切れする。おまけに急な岩場を降りるうちにヒザが笑いだす。

 

脚の大腿四頭筋に力がまったく入らず、自分の意思とは関係なくヒザがカクカクしてしまうのだ。日ごろの運動不足以外の何ものでもなかった。

 

下界までは通常8時間ほどのルートだが、これでは今日中にそこまでたどり着けるのかわからない。しかし、予報通り九州の西に停滞していた台風14号は動き始め、明日には列島を横断するという。今さらこのヒザで急な岩場を登り返し山小屋に戻るのは無理だ。

 

日頃、テレビで「登山道を歩いていた人が滑落した」という事故のニュースを見るたびに不思議だった。ロッククライミングならまだしも登山道を歩いていて滑落するって何だろうと。

 

そのナゾが解けた。

 

ヒザが笑って力が入らなければ、歩くために片足を上げても、残った足だけで体重を支えることができず、バランスを崩す。上げた足は倒れそうになる体を支えるため、反射的に自分の意思とは違う場所に着地する。そうして登山道を踏み外すわけだ。

 

「こりゃ、気を抜かずにいかないとマジで死ぬな。」と思った。

 

シーズンオフの平日、明日には台風が来る日本三大急登に来るような奇特な人はいない。僕以外誰もいない登山道には霧が立ち込め、下界はおろかこの先すら見えない。台風に刺激された前線がもたらす雨が周りの木々の葉に降り注ぎ、ホワイトノイズのような音が永遠に続くかのように辺りを包み込む。

 

不安はなかった。厳密にいえば、それどころではなかった。

 

雨に濡れてもいい。下界に降りるのが夜になっても構わない。自分が死んだら家族に迷惑がかかる。とにかく、生きて無事に家族の元に帰らなきゃと思った。早く、家族の顔が見たいと。

 

山小屋を出てから13時間、何とか登山口に戻り着いた。陽は落ちていたし人里からも離れた誰もいない場所だった。タクシーを待つ間は、サルの群れが自分たちのテリトリーに入ってきたよそ者を威嚇するように辺りを叫びながら走り回っていた。

 

中央本線を各駅から特急へと乗り継ぎ、家に着いたのは23時過ぎ。疲労困憊で全身の筋肉は硬直、目は覚めていたが帰りの道中の3時間は記憶がない。家の玄関にザックを降ろし、靴を脱ぎ、まずは水を1杯飲むために、両足を引きずりながらキッチンへ向かう。

 

「え? ちょっと!」

 

僕の背中に奥さんの声が刺さる。なんだか、とても久しぶりに聞いた気がして懐かしい。

 

「その足で歩かないで!」

 

「臭くなるでしょ! 早くお風呂場行って靴下脱いで!」

 

「全部、自分で洗ってね! 私はイヤだからね。」

 

「え゙~、ちょっとー、信じられない。床に足の跡が付いてる~。ぎだな゙ーい゙」

 

 

僕は我が家に帰ってきた。

 

 

遡ること十数時間前。僕は一歩踏み外せば確実に生きては帰れない断崖絶壁を歩いていた。諦めてしまえば楽になれる誘惑の中で、家族のために生きて帰りたいと心から望む自分を知った。

 

 

 

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