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やりたいことならやる気が出るという勘違い
「将来は自分の撮った写真で見る人に感動を与える写真家になりたい。」と言う方がいます。その多くが、写真を始めて間もない方です。だから、これがスタジオの採用面接の場なら「写真はまだ初心者ですが、やる気は誰にも負けません。」という言葉がセットでついてくるのが定番です。
僕がこの方の父親なら、昭和のお父さんよろしく「そんなに甘い世界じゃない。無理だからやめておけ。」と言って猛反対します。自分が壁となって、そのアイデアがただの思いつきの発想なのか、簡単には諦めないことなのかを試すためです。
一過性のものなら、「親に反対されたから」ということを理由に諦めるでしょう。本気でやりたいなら、時間をかけ、タイミングを見計らい、材料を工夫してこちらを説得してくるはずです。または、一人自己責任で生きていくと決心するか。
あまり知られていないことですが、職業選択において、自分の「やりたいこと」なら「やる気」を持って働けるというのはただの幻想です。日本語でひとくちに「やりたいこと」と言っても、「やりたいこと」が叶うまでの時間により、その「やる気」は大きく変わるものだからです。
食事とか性行為とか生理的欲求のように短時間の「やりたいこと」なら、「やる気」は満々。体の奥からフツフツとそれを求める気持ちが湧き出てきて、積極的に自分へ行動を促します。
その湧き出る「やる気」たるや、人生をかけて築き上げた立派な社会的立場を棒に振ってまでして痴漢や盗撮をするオッサンがいるくらいですから、相当なものです。
それが数か月という単位のダイエットや禁煙になると、「やる気」は一気に萎みます。「三日坊主」という言葉がある通り、「やる気」は長続きしません。痩せることをコミットするビジネスが繁盛するのも、喫煙を習慣ではなく依存症として病気扱いすることでビジネス化する動きも、多くの人が続かないから成り立つものです。
増してや、職業や生活習慣など年単位の長期に渡った「やりたいこと」は、その欲求の解消が見えないため、自分に行動を起こさせるほどの「やる気」は出てきません。頭では自分が「やりたいこと」と思い込んでいるとしても、体は「この先ずーっと苦労するくらいなら、何もせずこれまで通り平穏な毎日を送る方がマシ。」と思っていますから。
写真を学ぶため写真系の学校に入ったけど、卒業後はまったく関係ない業種に就職する方がいます。せっかく撮影スタジオにまで入ったのに、そこ止まりの方もいます。
世間一般的には、その理由は「才能」の有無で語られがちです。そのため、諦めた人に気を遣って、当人のいないところでまことしやかにそれは語られてきました。だから、この国では、その議論が深まらないままになっていると思うのです。
マネージャー歴が四半世紀OVERの僕に言わせて頂けるなら、「才能」は間接的に関係あるファクターですが、直接的に関係しているのは「やる気」の有無以外の何物でもありません。
やりたいことならやる気が出るという勘違いのせいなのです。