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ドーハ2.0

悲劇ですか? 自分たちにしてみれば、あれは単なる通過点でしたね。メディアの人たちやファンの皆さんから“悲劇”と呼ばれるのはいいんです。もちろん、あの時の選手も指導者も、当時考えられた最高の準備をもって試合に挑み、ベストを尽くしました。その結果、負けてしまった。

 

メディアやファンの皆さんはやさしさからあれは“悲劇”だと言ってくれたのだと思います。ただ、自分たちにしてみればあの時のドーハは“挫折”以外の何ものでもありませんでした。

 

プロ野球の故野村克也さんも言っていましたが、松浦静山という人の言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というものがあるじゃないですか。その意味で、自分たちは“挫折”という事実を受け入れ、そこから上がるためには何が足りなかったかを知り、それを満たすにはどうするべきかを考える必要がありました。

 

自分たちもがあれを“悲劇”と呼んでしまっては、何の学びもありませんからね。結局、自分たちにできることは、これまでもこれからもピッチ上で表現することだけですから。世界はあの当時の自分たちが思っていたよりも広かった。そこで勝つには、もっと広い視野を身につけ、もっとタフにならなければならなかった。

 

1993年の“挫折”、皆さんが言うところの“悲劇”から自分たちが得たものはそこだったんです。

 

あれから29年ですか。長かったかもしれないですね。確かに今ピッチに立っているのは、あの時まだ生まれていなかった選手が大半ですし。あの時の選手はキングを除けば、みんな指導者となっているわけですから。

 

今回はドーハの“歓喜”ですか? もちろん、日本の皆さんに喜んでいただいたことは嬉しいです。ただ、自分たちにとって今回は、あの時の“挫折“を経てこのニッポンが格段に強くなったってことの”証明“です。

 

あの頃があったから今があるという意味で、あの挫折をリスペクトしています。そこから得た反省と、それを元に打ち出した方針は間違っていなかった。だから、もう自分たちはあの頃の自分たちではありません。世界の広さも強さも身をもってわかっています。そして、今の自分たちならそこで充分渡り合っていけるってことも。だからこそね、証明したいんです。

 

自分たちにしてみれば2022年のカタール・ドーハは一喜一憂する“歓喜”というより“証明”です。ドーハの挫折を経て、このニッポンが強国となったこと。その証明をしたいんです。ニッポン2.0。これからも応援よろしくお願いします。

 

(このインタビューはフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。)

 

 

 

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