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優れた写真家
『…見知らぬ他人に写真を撮られるのは、(中略)こちらの心身への一種の「侵略」行為である。優れた写真家はその「侵略」性を最低限に抑えつつ、対象の内面にまでするりと入りこみ、そこに潜んでいるものをさっと引き出してくるすべを心得ている。…』【日本経済新聞朝刊のエッセー(6月5日/詩人・松浦寿輝さん)より】
前回、紹介した朝刊のエッセーを読んでいて、僕はある写真家を思い出した。
当時、僕は六本木にあった撮影スタジオのスタジオマンで、その日は週刊誌の連載グラビアの撮影スタジオを担当。それは、ある写真家の名前が冠になった企画だった。
編集担当者が、モデルが来る前の打ち合わせで写真家に念を押すように言っていたのを覚えている。
「今日は現役の高校生なので、脱ぎはナシでお願いします。」
○○茶瓶という形容がピッタリな写真家が、「どこまでならいいの?」と聞く。
「そのへんは話していないですけど、本人からの希望なので・・・」
「本人が希望すればどこまでもいいのね。アハハハ。」
「いやいや、現役ですから。高校生ですから。ナシでお願いします。」
小さな丸眼鏡の○○茶瓶は、ふんふんと鼻息で返事をしたようだった。
その後、学校帰りのモデルが学生服のままスタジオに登場。ほどなく撮影は始まる。
ライティングは、当時ですら古臭かったタングステンライトのみと至ってシンプル。写真家とあうんの呼吸のアシスタントは、テーブルの上に大小さまざまなカメラを並べている。
ストロボがないから発光音もチャージ音もない。おまけに、普通はあるはずのBGMもない。聞こえるのはモデルにボソボソ話しかける写真家の声と、キシュッとか、パカシャというカメラのシャッター音だけ。
写真家は常にカメラを何か持ち、話しかけながら時にモデルの身体に触れながらシャッターを押し続ける。僕にはシャッター音がまるで催眠へ誘うためのメトロノームのように聞こえた。
今思い返すと、なぜか二人がいる辺りだけ眼鏡がくもりがちだった気がする。モデルの肌がみるみる艶っぽくなっていったのは、その湿度のせいなのか、写真家の妖術にかかり始めたからなのか、僕にはわからなかった。
やがて、モデルの頬が火照り、目は潤みだす。ブラウスのボタンを自らはずし、肩を見せたころで、モデルの気が散るからとアシスタントがバウンス板と呼ぶつい立で写真家とモデルを囲んだ。
その後、30分か1時間か。どうなったのか。どこまで撮ったのかは現場に居合わせた誰もわからないまま撮影は終了。「ナシでお願いします」と言っていた編集の人もなぜか何も言わない。
何週間かのち、紙面になったグラビアを見たら、掲載されていたのはつい立で遮られる前の普通に「ナシ」な写真だった。
『…優れた写真家はその「侵略」性を最低限に抑えつつ、対象の内面にまでするりと入りこみ、そこに潜んでいるものをさっと引き出してくるすべを心得ている。…』
インスタで人気を集めるビビットでわかりやすい写真も良いけれど、僕のいるスタジオのスタッフにはこういった世界観もあるってことを知って欲しいとつとに思う。