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無理難題の壁

 

この業界に足を踏み入れていない方からすると、レンタル撮影スタジオに勤めながら写真家を目指している人は“すごい人たち”と思われているかもしれません。でも、現実はそれ程のものではありません。中には、超人のように“凄い”方もいますが、そんな人はほんの一握りです。残りの大半の方は、ごく普通の人です。

 

ごく普通の人だから、その後写真家(フォトグラファー・カメラマン)として活躍できるようになる方もいれば、そうならない方もいます。それでは、普通の人から写真家に成る人と成らない人、その違いはどこにあるのか? その答えを僕は『守るべき何かを持っているかどうか』と考えます。

 

例えばカメラマンやお客様、スタジオの上司や先輩から、無理難題を言いつけられます。無理難題とは、

◎ 自分の中の常識で考えて、そこまでやらなくたっていいでしょって思えるようなこと

◎ そんなこと言われても、それ知らないし、やったこともないしってこと

◎ 友人・知人に言っても、それってブラック企業じゃんと言われるようなこと

◎ そもそも、意味がわからないこと

 

スタジオに勤める普通の人の大半は、それが理不尽過ぎる「無理難題」である場合、行動に移すことはありません。行動を強いられれば、口では「やります」と言いつつ、行動は起こしません。どうしても行動せざるを得ない場合は、小さな声で「…出来ません…」と言ってみたり、固まってみたり、グズグズしてみたり、たぶん学生の頃から培ってきたテクニックを駆使して暗に応える気が無いことをアピールします。「無理難題」を押し付けた側からすれば、そんな姿を見せられてまで怒るのは面倒くさいし、そんな人に教えるのも馬鹿バカしいので、それ以上その人に求めることは止めます。

 

普通の人の中にも、まれに変な人がいます。カメラマンやお客様、スタジオの上司や先輩から、無理難題を言いつけられれば、それに応えるべくあらゆる手段を考えます。そして、躊躇することなく行動に移します。その結果のクオリティが満足できるものでなければ、原因を追究し満足出来るようになるまで絶対に諦めることはありません。「無理難題」を押し付けた側からすれば、期待に応えてくれたその人に頼もしさを感じ、信頼を寄せるようになります。そして、更なる「無理難題」をその人に押し付けるのです。

 

そのような日々の中で、後者は急速に仕事が出来るようになるので、スタジオ後はカメラマンになったり、アシスタントとして師匠のお気に入りになったりします。前者はカメラマンになれるワケはなく、アシスタントになれたとしても『使えないヤツ』のレッテルが貼られ、他に仕事の出来る人が入ってくれば途端にお払い箱となるのがオチとなります。

 

僕はこれまで、何人もの前者のハートに火を点けるべく、あらゆる努力をしてきました。しかし、二十数年間、ハートに火を灯せた人は一人もいません。誰もが、「そうですよね~」と同意まではしますが、かたくなに行動には移しません。そういった人の中には『何か守るべき、他の何よりも大切なもの』があり、それを傷付けることは命にかかわる問題のようなのです。

 

後者は、その『守るべき何か』を持ち合わせていません。だから、火さえハートに点けば、意地でもその『無理難題』を出す人に応えようとなりふり構わず全力で当たることができるのです。

 

写真家に成れる人は、ごく少数の最初から燃え盛る炎をハートの中に持つ人。そして、他の人の火が燃え移りハートに炎の灯った人だけです。どれだけ悩もうと、どこまで深く考えようと、ネットを駆使して完璧までに情報収集をしようと、湿気ったハートの人が成ることは絶対にありません。

 

乗り越えるべき壁の高さは、下から見上げてもわかりません。登り切れなかったときのショックを思えば、臆病にならざるを得ないのかもしれません。『無理難題の壁』を正面から乗り越えるか、割れては困る繊細なものを守るために登ることを拒み続けるか。無理難題の壁は、『自分次第の壁』と言い換えてもいいのかもしれません。

 

 

 

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