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気持ちの勘違い
僕が時代遅れのおっさんだからだと思っていました。最近、親子ほどの歳の差があるスタッフと話をしていて、何か違和感を覚えることがあるのです。
でも、案外そうでもないことに気付きました。
勘違いしている人、結構います。
「自己主張」=「自己チュー」ではありません。
「相手に気遣う」=「自分は我慢する」でもないのです。
よくこの国は息苦しいという話を目にしますが、そりゃ息苦しいわけです。
先日、スタジオに来られたパリ帰りのヘア&メイクさんが言っていたそうです。「向こう(フランス)の人たちって、思ったまま感じたまま、正直に話すから日本人の自分は最初、当りが強いって戸惑った。だけど、向こうの人たちって後腐れとかまったくないから、それに慣れるとそっちのほうが楽」
また、スタジオで唯一の外国籍Nさんは、何でも包み隠さず話す人です。そういうキャラの人なので、それを不快に思う人はいません。今朝も「日本人は正直に言わないから面倒臭いです」と日本人スタッフに言っていました。
「自己主張」とは自分はこう思い、こう考えているということを周りに表明することです。これ自体は自己チューでもなんでもないので、自己主張をすると自己チューだと思われるって心配はただの取り越し苦労でしかありません。
「相手に気遣う」とは相手のことを思いやって何かをしてあげることです。相手がそれを喜んでくれたら自分も嬉しいからやるだけことです。相手を気遣うために自分に我慢を強いる必要があるなら無理してやる必要はないのです。普通の相手なら、我慢してまで何かをやってもらっても嬉しくありませんし。
僕を含め今どきの親や学校の先生は子供の「自己主張」を「わがまま」として頭から否定しているのかもしれません。大人たちが当たり前のように使っている「良い子」って言葉、その意味は「大人にとって楽で手がかからない都合の良い子」って意味でしかないことをご存知でしょうか。「良い子」であることが、その子の将来において本当に良いことなのかは微妙な問題なのです。
公共交通機関の中で子供が騒げば、周囲はその親に冷たい視線を送ります。だから親は周りに遠慮して子供を静かにさせなければなりません。赤ちゃんや子供がうるさいのは超自然なことなのに。それでも、狭い車内でうるさいのは迷惑と思いますか? では、これをご存知でしょうか? 日本人は一目瞭然で欧米系の外国人とわかる親子の子供が騒いでいたら、日本人親子にするような冷たい視線は送らないという事実を。この日本人縛り(アジア人縛り?)、相手により態度を変える時点でこの問題は親子側にあるのではなく、イライラする人自身にあることは明らかです。
生まれてからずっーとそんな大人たちに囲まれて生きてくれば、そりゃ勘違いしてしまうわけです。
こんな空気がはびこる中で若い人が賢くスマートに生きていくには、自分の意見は持たず、たとえあっても黙っている方がコスパがいい。そもそも意見なんかに興味ないし。知らんけど。というスタイルを身につけることが自然なのです。
そんな主張しない人たちでも、それなりに生きていけるこの国の平和はこれからもずっと続くのか?
そんな物言わぬ国民の元で政治は劣化してしまわないのか?
まわりの虎視眈々とした国々にこの国は蝕まれてしまわないのか?
おっさんは心配です。知らんわけないけど。