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時代にあらがう

スタジオマンは、今はどこもダメだから

「スタジオマン(のレベル)は、今はどこもダメだから・・・」

 

ここ何年か、ため息のように発せられるフォトグラファーのそんな声を耳にします。まるで、あらがいようのない時代に対しての諦めのような声です。

 

もちろん、スタジオのマネージャーとして、黙ってそれを聞いてきたわけではありません。それなりの対策はいろいろ打っているつもりです。でも、正直言って暗中模索レベル。

 

「大丈夫、大丈夫。今どき、スタジオマンなんかに期待してないから大丈夫だよ~」という声が多勢になってしまう前に何とかしなければならないと思っています。でも、コロナ禍は時代の流れをますます速め、残された時間はわずかという感が否めません。

 

時代の大波

「少子化」という言葉が、まだどこか遠い世界の話に聞こえていた時代。視覚表現系の仕事といえば、映画・写真・イラスト・漫画・グラフィックデザインくらい。職業の選択肢にはYouTuberはおろかゲームクリエイターすらありませんでした。

 

だから、写真業界への流入人口は今よりはるかに多かったと思います。

 

その頃のこの業界の人の育て方は「怒りのダメ出し」。野蛮で無粋な時代でした。僕自身は、この与える側の人間性次第なシステムが大嫌いでした。もちろん尊敬できる方は大勢いましたが、無能にもかかわらず上位の立場というだけで威張り腐った人たちからのダメ出しは耐え難いものです。

 

でも、その時代、業界的には才能と根性のある者だけが生き残ればそれで事足りていたので、「怒りのダメ出し」システムが立ち行かなくなることはありませんでした。

 

そして、令和の今。すでにそのシステムは完全に崩壊しています。

 

「根性のある者だけが生き残ればいい」というスタンスでは、業界を維持するために必要な人数を集められなくなりました。しかも、せっかく入ってもらってもすぐに辞めてしまう。

 

解決策

解決のための選択肢は2つ。

 

一つは、「ダメ出し」することで凹んで落ちてやる気を失って辞めてしまうなら、端から「ダメ出し」をしない。そもそも多くを期待せず、高みを求めず、難しいことはさせない。生まれてこのかた優しく守られ大事に育てられてきた人たちには、それに逆らうことなく優しく大事に見てみないフリをする。精神年齢の低さも個性として尊重し、間違っても責任なんか求めない。

 

もう一つは、一人ひとりその性格に合った指導をする。タイプにより「論理的なダメ出し」と「おだて、なだめすかす」ウエイトバランスを変える。野心や反発心や自主性のあるタイプには「論理的なダメ出し」を多めにして本人の気付きや奮起に期待します。自主性無く責任を取ることに消極的なタイプには、おだててなだめすかしてその気にさせることにウエイトをおく。そうやって、徐々に自信をつけてもらい、責任を持つことに少しでも前向きになってもらえるように促します。

 

前者の良い点は、マネージメントがシンプルであること。悪い点は、いろいろな意味でレベル低下することが否めないこと。

 

後者の良い点は、時代というレベル低下のプレッシャーに少しはあらがえること。悪い点は、実際それを実施し成果を出すのは難しく、割に合わないこと。

 

人生にムダなことはない

実際、後者に取り組み続けるのは大変です。毎日が試行錯誤の日々。

 

僕のいるスタジオのスタッフからは、「フォトグラファーになるためにスタジオに入ったのに、なんでそんな面倒な後輩指導までやらなきゃならないの?」って声が漏れ聞こえてきます。

 

でもね、スタジオ後、フォトグラファーのアシスタントとなるとしたらどうでしょう。

 

数年後。師匠に就いて○年。いよいよ自分もフォトグラファーデビュー。そのときには、当然師匠から自分の後釜を育て上げることを求められます。その後釜に飛ばれてしまっては、いつまで経っても独立できないじゃないですか。

 

仮にスタジオ後すぐフォトグラファーとして活動するとしても、忙しくなればアシスタントを雇う可能性はあります。忙しさのあまり、そのアシスタントと上手に向き合わず、結果アシスタントに飛ばれてしまっては面倒じゃないですか。

 

そのときこそ、「サラッと論理的ダメ出ししつつ、おだててなだめすかして成長を促す」経験が活かされるはずです。

時代にあらがう

経営において効率を重視することは当然です。「今どきスタジオマンなんかに期待してないから大丈夫だよ~」というフォトグラファーからの声を「ニーズが無い」と捉えるなら、スタジオがスタジオマンのレベルにこだわることはリソースの無駄遣い。それにもかかわらず、手間ヒマかけるなんて経営に責任を持つ立場の者としては失格も同然。

 

だからこそ、もっと極めて唯我独尊といわれるレベルにならなければ。

 

昔、半グレはおろかヤンキーという言葉すらなかった時代、中高生が時代にあらがうには「ツッパリ」が唯一の手段でした。僕は当時、そういった人たちとは一線を画していましたが、なぜかこの歳になってツッパリ魂がメラメラ湧き出てきてしまいました。昔のツッパリたちは、すでに愛想のいいオッチャン、オバチャンになっているのに。

 

あ~、うちのスタッフのユニフォームの裏地に龍の刺繍を入れたくなってきた。機材車をシャコタンにして、スタジオの入り口の段差通るたびに底をガリってこすらせたくなってきた。

 

とりあえず、今日からスタッフミーティングはウンコ座りで車座ね。そこんとこ夜露死苦―。

 

 

 

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