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昭和現像液

未だにあれが何だったのか、わかりません。イジメや嫌がらせの類だったのか、冗談なのか、昭和の頃までは本当に行われていたことなのか。今となっては、笑える懐かしい体験ですが、あの劇苦な液は二度と口にしたくないです。

今から35年前、19歳の僕は横浜にある営業写真館で働いていました。それまで特段写真に興味があったわけでもなく、ただ求人雑誌(もちろん、ネットは無い)の「カメラマンアシスタント募集」って文字がなんだか面白そうと思い、面接を受けたら採用されたってだけのことでした。

当然、写真のことは何も知らない僕ですから、入ってみて、そこが成人式や七五三、家族写真を撮る営業写真館だと知りました。

僕以外の社員はみんなおじさんでしたから、可愛がられていたのだと思います。でも、その中に一人だけ、「部長」と呼ばれるすごく怖いおじさんがいました。少し色の入ったメガネの奥からギョロっと睨み、「おい、田辺」と呼ばれるたびに僕は緊張したものです。

ある日、その部長から暗室でベタ焼き(プリント現像)を教わることになりました。もちろん、何も知らない僕は暗室に入るのもその日が初めての体験だったと思います。

「これが赤色灯、これがバット、これが現像液と定着液、この印画紙は明るい所で出すなよ。」各名称から始まり、ベタ焼きのやり方を教わっていた時のこと。

「この現像液や定着液は、使っていくうちにヘタってくるんだ。特に現像液がヘタってくるとプリントがだるくなる。だから、現像液のヘタり具合をチェックしておかなきゃダメだ。」

そして、部長のドロッとした目がレンズの奥からキラッと光り、「田辺、どうやってヘタり具合を調べるか、わかるか?」と僕に聞きます。僕が「わかりません。」と答えると、部長は一言。

「舐めるんだ」

僕「え?」

 部長「舐めるんだ」

 僕「へー」

 部長「田辺、舐めてみろ。」

 僕「えー!これって劇薬とかじゃないんすか?」

 部長「そんなこと知るか。舐めるのが一番わかるんだ。ほれ!」

で、舐めて当然という雰囲気の中、僕は白黒現像液に指を入れ、その指先を口に入れました。その瞬間、僕の身体はこれを口には入れてはいけないものだと悟りました。すぐに吐き出し、その後も口の中の苦味をツバとともに何度も吐き出し、液の味が消えるまで口を水でゆすぎました。

部長はそんな僕を見て、色眼鏡の奥から不敵にニヤっと笑うだけ。マジなんだか、冗談なんだか、よくわかりません。

あれから35年。僕は暗室作業の詳しい方に出会う度に、その時のエピソードを話し、「舐めて調べる」ってことが本当なのかを聞いてきました。今のところ、知る人は誰もいません。

そんなこともありましたが、写真館ではとてもたくさんのことを教わりました。カメラの構え方から、撮り方。機材の扱い方や暗室作業、学校アルバムのレイアウトから印刷・製本。お酒の楽しみ方から、大人の夜の遊び方まで。

それにしてもあれって何だったのか?どなたかご存知の方いらっしゃいましたら、教えてください。

昭和の初めころまでは普通にみんな舐めていた、なんて答えを期待していますよ、部長!

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