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夏は辛口

今月の『外苑☆咖喱』を食べていて思いました。やっぱり、夏は辛口でなきゃと。

巷では、「お寿司屋さんに修行は必要ない」必要なのは「コミュニケーション能力」って考えが支持を得ているそうです。

修行って、無理を強いられ、理不尽を耐え忍ばなければならないイメージが強いので、そういった意見が注目されるのは当然です。

特に、今どきネットがあれば、ほとんど全ての情報が得られると信じる若い方が、飛びつきたくなるアイデアであることは間違いありません。

 

僕はこのアイデア、半分賛成。半分反対です。

『半分賛成』なのは、「桃栗3年、柿8年」ということわざを例えに、修行期間を強いることによる矛盾です。

 

修行によって身につけた技術や人間性がリアルタイムに正しく評価され、その成長度合いに応じて、新しいポジションが用意されるなら問題ありません。でも、現実は店の都合や、オーナーの都合が、それより優先されることがほとんどです。

若い衆:「おやっさん、すみません。独立させてください。」

鮨店主:「いや、お前はまだまだ半人前だ。あと5年は修行をしろ。」

若い衆:「いやいや、今オレが辞めたら、おやっさんが大変だからでしょ!」

鮨店主:「じゃー、給与を今の倍にする。それで、どうだ!」

若い衆:「給与の問題じゃないんです。オレ、自分の腕に賭けてみたいんです。常連さんだって、もう充分やっていけるって言ってくださいます。」

鮨店主:「よし!わかった!それじゃー3倍でどーだ!もうビタ一文まけねえ!!こちとら江戸っ子でぇい!!!」

若い衆:「いや、そーじゃなくって……」

 

と、いうような、矛盾です。

 

また、『半分反対』は、修行を通して精進することが、その道の神髄に近づき、その結果その人の人間性を高める可能性を秘めているからです。人生の流動性を担保するためにも、それを求める人には絶対必要なことだと思うのです。

僕の友人は、子供の頃から悪ガキで、不良街道まっしぐらに高校中退。暴走族でブイブイかましている人でした。

でも、ひょんなことから料理の世界に入り、色々な人との出会いの中で、その道から逃げ出すことなく真剣に取り組むようになります。やがて、オーナーシェフから海外修行を命ぜられ、欧州数か国の三ツ星店を数年間渡り歩いた後、帰国。

 

その後、都内の有名店のシェフを任され、数年前に自分の店を構えます。今は、毎晩多くの客でにぎわう店を後輩の元不良達を従えて切り盛りしています。

今思えば、携帯電話がなかった時代、人との待ち合せは超非効率でした。インターネットの恩恵は、言うに及びません。

 

でも、だからと言って、世の中のすべてを“効率的かどうか”で見てしまうのは、表を見て裏を見ないようなものです。

恋愛に例えてみれば、より広く多くの人と出会うために、ネットやスマホの効率性は大変強力な味方です。でも、人を好きになっていくプロセスに効率性を求めては、ムードもへったくりもありません。

 

写真に例えれば、デジカメの進歩のお陰で、誰もがきれいな写真を撮れるようになりました。だからと言って「カメラマンの仕事がなくなる」と言う人は、まだ本物がわからない人だと思うのです。

 

来月の『外苑☆咖喱』は、甘口しか食べれないとのたまうスタッフを尻目に、思いっきり辛口にしようと思う僕なのです。

 

 

 

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