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仕事は盗んで覚えられるか
「仕事は盗んで覚えろ」という言葉を聞いたことありますか?
僕は若いころ、この言葉の真意は教えるべき立場の人の責任放棄だと思っていました。教える気がないか、実は教えるほどのノウハウを持っていないのか、怠慢か無能な上司・先輩の常套句だと解釈していました。
その頃の僕の仕事における選択肢といえば、朝起きて「今日は仕事に行くか、なんか理由つけて休むか。」と、職場で「仕事するか、サボるか。」だけでした。
でも、それから少し大人になると、そこにもう一つ選択肢が加わりました。「指示されたことを忠実にやってそれで充分とするか、もっと仕事に積極的に参加していくか。」です。
そうなって初めて、後者を選択するとある程度の責任が生じることを知りました。性格的に前者に収まることは苦手でしたし、だからといって陰でグチるのも性に合わなかったので、仕方なく後者を選んでいたように思います。
そこまできて「仕事は盗んで…」の意味が、仕事に対する姿勢や心構えのことを言っているんだと気づきました。仕事を教えられるのを待つのではなく、自分から覚えるべく取りにいくべきだと。
それがクセになってくると、周りの色々なことが興味深く見えるようになってきました。それまでは興味のなかった社内のルールや業界の動向、政治や経済の問題や社会との関わりにも自然と目がいくようになりました。
ただし、オッサンとなった今、僕は若い人に「仕事は盗んで覚えろ」と言うことはありません。といって、親切丁寧に教えることもありません。
なぜなら人が、その仕事を盗めるレベルになるには、それまでに様々なキャリアを積まなければならないからです。盗むべき仕事のコップからキャリアの水が溢れだすまで、人にはコップを見つけることができないものなのです。
写真で言えば、カメラを初めて手にしたとき、多くの人はシャッターを押した瞬間の画像が写ること自体を楽しみました。まだ、その時にはフレーミング(構図)を工夫する必要性にまで意識は及んでいなかったのではないでしょうか。
もちろん、丁寧に教えたところで一緒です。いくらわかり易く教えたところで、「このオッサンが言わんとしていることはわかるけど、ピンとこないし、胸にも響かない。」から、すぐに残らず忘れてしまうのです。
結局のところ、キャリアを積む人は、どんな困難があってもキャリアを自分のものにしていきます。やらない人は、どれだけ素晴らしい環境が目の前に揃っていようが、やらないで済む言い訳をします。
オッサンにできることは、やらない人が向いている方向を自身に気付かせ、人生に積極的に関わっていく方向に向きを変えていくよう促すだけです。ことあるごとに手を変え品を変え、なだめすかして、いずれ来る日を待ちながら。
誰もが憧れる学校に入れても、人気ナンバーワンの人気企業に入れたとしても、有名な写真家のアシスタントについても、海外暮らしを体験してみても、必要なことは一緒です。盗むべきものを見極められるだけの意識を身に着けるべく、好奇心を持って貪欲に生きる。
そうではない生き方を肯定しないわけではありません。ただ、腕や芸や感性に生きる人には、必要な考え方だと思うのです。
さて、ここでなぞなぞの問題です。
『尊敬する先輩に「仕事は盗んで覚えろ」と言われたAくんは、その後先輩がいなくても仕事に励むようになりました。なぜでしょう?』
答え【 どろぼうだったから 】
お後がよろしくないようで。。。
文:田辺 政一 え:きよた ちひろ