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リバ☆パタ
『リバタリアン・パターナリズム』という考え方があります。長いので以下『リバ☆パタ』と略します。
ちなみに、昔、流行った「リゾ☆ラバ」とは違います。あれは、「リゾート・ラバース」(1989年/爆風スランプ)、残念ながら『リバ☆パタ』は、エグるような水着に恋に落ちた話ではありません。←うちのスタッフ、知らんだろうなw
例えば、野菜は好きじゃないけど、お菓子やお肉は好きという子供がいます。親がその子供の意思を尊重すれば、子供は好き嫌いの多い子になる可能性が高まります。逆に親が子供の健康を考えて、子供を叱り、無理やり食べさせれば、子供は泣いて嫌がるかもしれませんが野菜を口にはするでしょう。
また、野菜の調理方法や出し方を上手に工夫すれば、子供が嫌がることなく食べさせることが可能になります。
『リバ☆パタ』とは、自由放任主義者(リバタリアン)と、家父長主義(古い世代の父親のように、本人の利益のためとして、本人の意志に関わらず干渉する考え/パターナリズム)、この二つの良いとこ取りのような工夫や仕組みのことをいいます。アメリカの経済学者が提唱した考え方だそうです。
〇〇主義だとか、なんだか小難しい話に感じられるかもしれません。しかも、経済学なんてチンプンカンプンという方は僕だけではないと思います。
でも、これって結構身近なところに実例が転がっているってことに気付きました。
例えば、写真をはじめとした、アート・クリエイティブ系の大学や専門学校。何ものにも縛られず自由に振舞えるからこそ生徒の個性や才能の芽を伸ばすことができます。何より生徒自身がそれを欲するので、学校運営側も最低限度の社会性以上のものを求めません。
その結果、社会の中で役立てる自分を構築するためのモノトリアムな時間であるはずの学生生活が、一部の生徒さんにとっては社会と乖離した自分を習慣化させる場となってしまっています。
個性を尊重し、才能の芽を摘むことなく伸ばしつつも、強制ではない形でアートやクリエイティブの分野で社会に適合できる方向に生徒を導いてあげられる。今、その方法論が問われるべき時代が来ているのではないでしょうか。
例えば昔、スタジオスタッフが“自由”なレンタル撮影スタジオがありました。自由だからそのスタジオのスタッフはノビノビとやっていられたのだと思います。しばらくは、そのスタジオからとても多くのフォトグラファーが輩出されていました。ただし、そのスタジオを利用したお客様からは、あまりにも自由過ぎるスタジオスタッフにビックリしたという話が漏れ聞こえていました。
また、その当時、僕のいたスタジオは厳しいことで有名でした。理不尽に厳しいつもりはありませんでしたが、本当に写真をやっていきたい人しか残らないスタジオでした。だから、当時のスタッフは、そのほとんどがフォトグラファーとして活躍するようになりました。ただし、時代と共に、厳しいスタジオはお客様には好評でも、少数精鋭にならざるを得ませんでした。要するにスタッフが増えないので仕方なく少数だったのです。
今、僕のいるスタジオでは、スタッフのみんなに「正しい自由」を理解してもらうべく努めています。決して強制はしません。強制したところで、その場限りのことになってしまうため、本当の意味で当人のためにはならないからです。間違った考え方によるその結果がどのような結末になるのかを事あるごとに見せたり伝えたりすることで、一人ひとりが「正しい自由」について心から確信を持つようになるまで手を変え品を変えアプローチをはかりながら当人の意識の覚醒を待っています。
僕のいるスタジオは、スタジオスタッフからもっと多くのフォトグラファーを輩出できるようになることで、その目指している方向性が正しいことを証明していかなければならないと信じているからです。
『リバタリアン・パターナリズム』この考え方の提唱者であるリチャード・セイラー博士は、行動経済学におけるその業績を評価され、今年のノーベル経済学賞を受賞しました。