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うまいラーメンじゃダメですか?

 

先日、元スタッフが数年ぶりにスタジオに遊びに来てくれました。彼は以前から自分が好きな分野の作品を撮りためながらカメラマンをやっています。そんな彼との話の中で、僕が驚いたことがありました。それは、彼と同期で今かなり売れている元スタッフ(○○くん)の話になった時のことです。

 

彼:「〇〇くん、すごい売れてますよね。」

僕:「そうだねー。」

彼:「2年前に二人で会った時は、まだ今みたいに売れてなくて、二人でがんばろーって言ってたんですけどねー」

僕:「〇〇くんには、この間スタコン!フォトグラファーを目指す人のためのオリエンテーション)にゲストフォトグラファーで出てもらったよ。その時も、話していたけど、すごく色んなことを考えてるよね。作品のことはもちろん、次の展開とか、世界の流れとか、売り方とか、、、、」

彼:「いやー、自分も置いて行かれないように、頑張らないとって思うんですよ。」

僕:「あれ?“彼”って、売れるってことに興味あったの?」

彼:「え、もちろんありますよ。いつまでも、このままは嫌ですから。」

僕:「えーそうなんだー。意外!“彼”は我が道行くって人だと思ってたー!」

 

僕から見ると、昔から彼がこだわるその分野は、あまりニーズがあるとは思えないマイナーな分野です。でも、彼にとっては何年もかけて追い求めるテーマであり、そのためなら節制した生活を強いられても一向に構わない人だと、僕は勝手に考えていたのです。

 

僕は彼の話を聞いて、ラーメン屋さんを思い出しました。街には小さなラーメン屋さんが出来ては消えていきます。なんでも新規開店したラーメン屋さんの70%が3年以内には閉店をしてしまうそうです。僕は、前からこれが不思議でした。ラーメン屋さんを出店する人は、ほとんどが脱サラや準備に何年もかけてきた人だと聞きます。一世一代の大勝負と言ったら大げさかもしれませんが、真剣に勝つつもりでオープンに至ったはずです。「これでいける!」と思った自分の味を武器に、店が繁盛する夢をみながら。でもふたを開ければ、多くの店が続けていくために必要な数のお客さんにすら入ってもらえない。いくら店主に情熱があっても、です。

 

写真家も同じではないでしょうか。自分ではいくら価値のあるテーマと信じていても、評価するクライアント側がその価値を認めてくれなければ、写真家にお金が入ることはありません。もちろん、自分はそれでも構わないというのなら、まったく問題はありません。でも、写真家として生計を立てていこうと考えるなら、自分らしさや、自分のテイストを第三者に共感されなければ何の意味もありません。自分の価値基準をクライアントや受け手側のそれに合わせることの重要性を理解しなくてはいけない理由がここにあります。

 

僕は、妥協しろとか、自分を曲げるべきだとか、人に媚びを売れと言いたいのではありません。自分を知り、方向性の先にあるニーズがどこにあるかを考え、自分の写真を見る側がどう捉えるかを意識し、どう自分を露出すれば評価されるのか。いくら店舗の賃料が安かったからって、ご老人ばかりの街で、濃厚こってりで油のギトギトしたラーメンの店を出しては、間違いなく努力は無駄に終わります。情熱を無駄にしないためにも、考えなければならないことはたくさんあると思うのです。

 

 

 

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