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才能について

才能は幽霊に似ている。

 

霊の存在を感じる人は霊を怖い対象として見ない。存在していることは確かという事実と、多くの場合は人畜無害であるという経験則から恐れる必要性を感じない。霊を恐れるのは、霊を感じない人だけなのだ。

 

だから、僕に言わせて頂くなら霊の話で人を怖がらせるのはあまり良い趣味といえない。

 

才能のある人は才能の無い人がわからない。本人としてはただ単に必要と思える要素を最適化し最善をつくした結果に過ぎない。才能のある人からすればわかっていることをわかっている通りにやっただけのことなのだ。でも才能の無い人は要素それ自体の存在を気付けないから、その結果に驚嘆し神がかったもののように思う。

 

だから、僕に言わせて頂くならその才能で名声や成功を手にした人が特別感や優越感に浸ってしまうのは、親ガチャで当たりをゲットした人が自分の恵まれた境遇をSNSに自慢しているのと何ら変わらない。

 

 

 

才能は確率だ。

 

1億2千万人いる中に一人、日本一美しい人がいる。ただそれだけのことだ。ちなみに僕の50代のオッサンとしての才能はこの日本に869万人、約7%もいるので希少性が無いから価値もない。

 

秀でた才能が若いうちから開花し成功をおさめた人の中には、その才能に溺れ早々に才能が枯渇する人がいる。逆に、寝ても覚めてもというほどの情熱と長い時間をかけて才能を手にする人もいる。

 

溺れそうになったけどこれではダメだと気付き、正しい生き方に目覚め才能を枯渇させずに済んだ人もいる。どんなに努力しても結局才能を手に入れることのできなかった人もいる。

 

 

 

僕が若かったころ、霊の存在は僕の中で否定しようのない実感だった。でも、それも今は昔。すでに霊感なるものはほとんどないに等しい。

 

なぜそれがなくなったのか。良く言われることは加齢に伴うもの。実生活だけで精一杯になってくると、そっちを気にする時間も気持ちの余裕もなくなり、使わないセンサーが退化していく。

 

確かにそうなのかもしれないが、僕には違う感覚がある。

 

僕にとって少し特殊な体験は、それを周りの人に話して場を盛り上げるためのネタでしかなかった。「聞いて!聞いて!昨日、こんなことがあってさー…」僕は場が盛り上がることで満足感に浸っていた。そうやって、自分のためだけにその力を使っていたことが僕のセンサーの感度を下げた原因だと思っている。その証拠にこの話をするのはやめようと決めてから僕の感度は下げ止まった。もっとも残りはほんのわずかだから、ほとんど役に立たない状態だけど。

 

才能も同じだ。才能のある人にとって「成功」はその才能を世のため人のためにもっと活かすためにこそ必要なものなのだ。それを自分が優越感に浸るためだけに使っていると才能は減り続け、やがて枯渇する。

 

根拠はない。

 

ただ、そう感じるだけ。

 

多くの才能ある人たちを見てきて僕はその結論に至った。

 

 

 

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